霧が走る
昨晩から今朝にかけての濃霧を僕は知らない。昨日は割りと早い時間に家に帰り着き、その後一度も家を出なかったから。
魚津、埋没林博物館の横のフィッシャーマンズ・ワーフの駐車場。日差しが強い今頃の時期、カメラを構えている人が多い。蜃気楼。
久し振りの営業外回り。少し早めの午後の休憩を取るために、海岸線の道を走った。
風が強い、こんな日は、いつまでも未練がましく遠くを見つめないことが正解だ。まぁ、日差しは強いが、実のところ、風はまだまだ春先のそれだった。気持ちよいからよしとする。甘ったるい缶コーヒーとこの2,3年でずいぶんと薄味の物を喫う様になったタバコ2本に、存分にお付き合い頂き、午後の部後半戦。
それは午後の休憩の前、滑川の海岸線に近い道を走っていた時から起きていた。
田植え寸前、水田に水が張られるわけであるが、精々水深10センチ。日差しの強い日など、水底はあっという間に温められ水はそこそこの勢いで蒸発する。今日の様な実はそれほど気温の高くないときは、それこそ湯気をたてて。雪解け間が無い時期など、それほど珍しいことではないが、GWも終わった今の時期に
黒部川の扇状地は、僕の印象ではいつだって風が強い。晩秋の道路工事のための現場密度試験で、前日の小春日和のことを思えば凍死してしまうのではあるまいか、という日があった。いや、何より、国道8号線のバイパスの橋脚のためのボーリング調査。雪が斜め下から襲ってくるなかなか得難い経験もさせていただいている。
入善の水田地の真ん中を貫く道の脇に車をとめて、パワーはそこそこあっても少しうるさい2リットルのディーゼルエンジンを切る。カーラジオは言うに及ばず。ハザードは点けておこう。
若い頃の、佐久から諏訪へ抜けていく道を単車で走っていた時、包み込まれ、というより、閉じ込められて動けなくなったことこそ、印象深いが、今や朝、会社に行く途中、フォグランプが本来の機能を果たすことはそんなに珍しくは無い。ただ、空も前も区別がつかないような色合いの世界なのが常で、それはそれで、ちょっとすごい光景と言えなくも無いが、今日のは違う。
空を見上げれば、初夏の青。ただ、地を這うようにして、霧が僕をすり抜け走り去っていく。ほんの100メートルも離れていないところに民家があるはずなのに、空の下、僕だけがここに置き去りにされたみたいだ。
風の音と田んぼに水を供給する用水の音。だけ。
眠れぬ夜のように、自分の呼吸の音を意識した。あまりに清浄すぎる世界。いたたまれなくなった僕は、タバコに火をつける。何の気まぐれか、今日は昔のガールフレンドにもらったジッポを持ってきてよかった。
無邪気に走り去る霧に、毒ガスを紛れ込ませる。本の上に檸檬をおいてくる悪戯に比べてはるかに悪質だ。ただ、耳の奥にロバート・ジョンソンが流れているようなこんな時に、タバコがないことにはどうにも締まらない。
霧が切れた瞬間があった。途端、田んぼに張った水の漣に反射した太陽の光が網膜を突っついてきた。
「やりやがったなぁ。」と、苦笑い。
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